めるくと彰の反省会

 ここは魑魅魍魎が跳梁跋扈……していた、あるいは今もしているかもしれない町、閻魔町。そんな町の高級マンションの一部屋に、近頃引っ越してきたある2人の姿があった。「魔術を以て魔術を制する」を信条に掲げる国家機密組織、通称アイワス・クラスタの魔術師、閻魔高校に転校して来たばかりの女子高生、暁月めるく……そして表向きはその兄という肩書でタッグを組む、見た目は少し胡散臭いが情に厚い男、新庄彰。時は夕暮れ、閻魔町で大騒動に巻き込まれた2人はアイワス・クラスタからもらった少し長い休暇をその広く快適な部屋でのんびりと過ごしていた。

 「なあ、めるく。勉強熱心だな……せっかくの休みくらいゆっくりしたらどうだい?」
ドリップマシンで優雅にコーヒーを淹れながら彰が話しかける。
 「これが趣味って言えばゆっくりしてることになる?」
めるくは黙々と組織の書斎から借りた本を読んでいるところだったが、彰には一瞥もくれずそう答えた。
 「いい趣味だが、どうせお前は楽しく本を読んでいるわけじゃないだろう? 組織のエージェントとしてやるべきことだけじゃなくて、自分のやりたいことをやったらいいのに、と言っているんだ。ほら、コーヒーを飲むかい?」
彰はカップに入れた淹れたばかりのコーヒーをテーブルに置いた。
 「ありがとう、もらうね」
めるくは本を閉じて、リビングのテーブル脇のソファに腰かけた。
 「さて、ここで優雅にコーヒーを嗜みながら、俺と話をする。なかなか楽しくはないかい?」
彰は自分の分のコーヒーを片手にそう話しかけた。
 「楽しいか楽しくないかで言えば、楽しいんじゃないかな」
めるくはコーヒーを一口すすると、表情一つ変えずにそう言った。
 「ならいい。ではここからは尋問とお説教の時間だぞ。「おにいちゃん」としてね」
彰は糸目にいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
 「私は精神力で対抗するけど、どうしても尋問したいならどうぞ」
めるくは彰に話しかけられてから初めて彼と目を合わせて言った。
 「おいおい、もうその認識からダメだ。どうしてお前は尋問といったら初手で支配の呪文を使うと思っているんだい? お前相手にそんなことすると思われてるのかなぁ俺は」
彰は呆れた表情で言った。
 「そうすれば早く終わるし、嘘もつかれなくて済む。”魔術を以て魔術を制する”でしょ」
めるくは淡々と答えた。
 「ああ、そうだな。お前は正しい。けどな、信頼がなければ引き出せない情報もあるんだよ。俺が話したいのはそういう人間らしさについての話なんだ。いいかい?」
彰はそう言うとコーヒーを一口飲んでふぅ、とため息をついた。
 「私にないものの話をしてどうするの」
めるくはうんざりしたのか少し訝しんだ。
 「ないならあるように振る舞えばいい。そうすればあることになるんだって、お前が自分で言っていただろう。これもお勉強だと思って「おにいちゃん」の言うことをよく聞くんだ。いいね」
彰は相変わらず穏やかに微笑みながらそう言った。めるくは黙って聞いていた。
 「よし、いい子だ。じゃあ……まあ、そうだな。今回の仕事の報告を聞いた俺の感想としては、ちょっとお前は疑わしきを罰しすぎてる。敵とみなしたものにあまりにも容赦がないぞ。それが取り返しのつかない事態を招くことも考えなくちゃダメだな」
彰は腕を組み、神妙な面持ちでそう言った。
 「そう言うおにいちゃんは敵を家に上げて一服盛られてたでしょ。エージェントは如何なる場合も生存しなくてはならない。優先すべきものを間違えるのはもっとダメなんじゃないの」
めるくは眉毛一つ動かさずそう言い放った。
 「うーん、ぐうの音も出ないぞ。だがまだ俺にも弁論の余地はある。確かにお前の言う通り、エージェントは生き残らなければならないし、油断は命取りだ。それに今回の件では切羽詰まった戦闘行為に及ぶ機会も多かったからな。お前が多少……いやかなり暴力的で怒りっぽかったとしても、正当防衛ということで百歩譲ってよしとしよう。百歩譲ってるんだぞこれでも。それはわかるかい?」
彰はゆっくりと説明するようにして言った。
 「譲ってくれてありがとう。じゃあ問題ないでしょ」
めるくはそう言うともう一口コーヒーをすすった。幾分リラックスした様子だ。
 「しかしだな、一つどうしても腑に落ちないというか……これだけは聞いておきたいというか、そんなことがあるんだ。そう、お前がアッザム・イスバールをターゲットにした調査を始めてから2日目のことだ。校舎の敷地内に現れたゾンビと交戦したとき、お前はいきなりクラスメイトの天ヶ崎紅葉の顔面をぶん殴ったそうじゃないか。一体どうしたんだ? お前らしくもない……私怨でもあったのか? それがどうしても気になってね」
彰は心底理解に苦しみながら首をかしげて尋ねてきた。
 「敵だと思ったから殴ったの。それだけ」
めるくは間髪入れず答えた。
 「いいや、違うね。お前が本気で敵だと思ったら魔術を使って攻撃しているはずだ。それが何故かお前は素手で行ったんだ。何か理由があるに違いない。そうじゃないか?」
彰は珍しく眉間にしわを寄せ、そう指摘した。
 「そう、一から説明しないとダメってことでいい?」
めるくは少し嫌そうな顔をして言った。
 「そうだ。1から100まで、いや1000くらいまで説明してくれ。でないとわからん」
彰は答えた。めるくは大きなため息を一つついておもむろに話し始めた。
 「話は一日目の放課後から。アッザム・イスバールを屋上に呼びつけたときのこと。私は尋問を試みたけど、そもそも彼からは魔力を感知できなかった。代わりに近くに飛んでいたカラスから並々ならぬ魔力を感じ、警戒していた。その折にアッザムが倒れて……仕方なく運び出そうとしているところに、天ヶ崎紅葉と特大寺巨麿の2人が現れた。私は攻撃を受けたけど、おにいちゃんはどう思う? 屋上で倒れた人を搬出しようとしているところを攻撃してくる人間が正常だと思う?」
めるくが淡々とそう言うと、
 「それは、お前がアッザムを襲ったと思われていたからなんじゃないか?」
と彰は返した。
 「そうだね。そのときは誤解があった。けど、チーという女……いや、男の子だったね。彼の介入でその場は収まった。そして問題の2日目。馬で襲ってきた意味わかんない特大寺はともかく、あのカラスを使役していそうに見えた天ヶ崎には私は既に目をつけていた。そして、案の定彼女……いや、彼からも魔力を感知した。その折、ゾンビが出現しているところに駆けつけて戦闘を開始したわけだけど、天ヶ崎はゾンビに手を出さなかった。どう? 前日に出現したチーはゾンビを引き連れていた。そして校舎に現れたゾンビに天ヶ崎は手を出さなかった。この時点で、天ヶ崎は魔力を持ち、カラスを使役して私を妨害し、ゾンビとの戦闘に非協力的な態度を取った……ように見えた。これをおにいちゃんなら白だと判断する?」
めるくは相変わらず表情一つ変えずに言った。
 「確かにその状況なら警戒はするが……それだけで殴り飛ばそうとするのはちょっとおかしくはないか? まだほかに理由があると?」
彰はまだ困惑した様子だった。
 「私と敵対する意思があるか、試したの」
めるくは言った。
 「なんだって? なぜ殴ったらそれがわかるんだ?」
彰はますます混乱した。
 「おにいちゃん、人に説教するなら相手の立場に立って考えた方がいいよ。もし急に誰かが全力で殴ってきたら……おにいちゃんはどうする?」
めるくは尋ねた。
 「そりゃ、抵抗するだろうな。場合によっては、被害をそらす呪文でも……いや、まさかお前……?」
彰は何か感づいたようだった。
 「そうだよね。そう。咄嗟に殴られれば、身を守るためには手段を選ばない。私は彼が魔術的な手段で防御に及ぶと考えていた。私が素手で殴っている以上、魔術を見せれば糾弾の対象になる。それで化けの皮を剥がせると思ったの」
めるくは大まじめにそう話した。しかし彰は苦笑いして言った。
 「なるほどな……けど、そうはならなかった」
するとめるくは少し渋い顔をして
 「そう。彼は黙って殴られた。物理的にかわすこともしなかった。私はそれを以て、彼が前日の件を踏まえてもなお私を徹底的に敵視しているわけではないと判断した。何か間違ってる?」
と話した。彰はそれを聞いて笑い始めた。
 「はは……お前、本気で言ってるな? わかる、わかるぞ、ははは……全くお前は優秀なエージェントだ。そこまで非情でないとアイワスの依り代にはなれないのかな? いやすまない……あんまりにもあんまりだと思ってね。すごいぞめるく。後輩ながらエージェントとしては満点だ。けど、人間としては残念ながら落第だな……」
彰は心底残念そうな顔をしてそう言った。
 「エージェントとしては満点? なら尋問もお説教もここまでだね。それとももう少し”理想の妹”らしくするお勉強が必要?」
めるくは満面の作り笑いを浮かべながらコーヒーをずずーっと飲み干してからそう言った。
 「ああ、お勉強するべきことはあまりも多いぞ。別にな……俺にどう思われてるかとかは、気にしなくていいんだ。けどな、お前には人として生きる上でもう少し大事にしてもらわないといけないことが山ほどあるんだよ」
彰は少し悲しそうな表情を浮かべて言った。
 「そう……それが組織の方針なら、喜んでお勉強させてもらうね。コーヒーごちそうさま。美味しかったよ、おにいちゃん。じゃ、私は自分の部屋に行くから」
めるくはそう言って、先ほど閉じた本を拾って自分の部屋のドアを開け、中へと消えていった。彰も残りのコーヒーをずずっと飲み干して、ふぅ、とため息をつく。
 「ああ、真に救いの神がおわしますならば……彼女がどんな罪を負っているのか、俺にも教えてほしい。願わくば、俺が「おにいちゃん」であるうちに、あの子が子どもらしく……学生生活に価値を感じてくれればな……いや、弱気になってても仕方ない。取り巻きのエージェントもいることだし、仕事では心配いらないんだ。あとは俺ができる限りのことをしないとな……」
彰はベランダの大きな窓から、ちょうど陽が沈んでいく街の様子を眺めながら一人でそう呟いた。部屋に差し込む斜陽はほんのり暖かく、愁いを帯びた彰の顔を照らしていた。

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