「Nuj計画」 第7幕

 深木のことについてはちょっと大きな声では、と赤森が言うので、真夏は急いで食事を終えて空いている部屋を2人で探すことにした。
 「来客用の部屋ならいくらでも空いてるのよね。来客ないから」
赤森は真夏と廊下を歩きながら言った。
 「そもそも秘密結社なのになんでそんなに来客用の部屋があるの?」
 「お客は来ないけど”被検者”は来るからね……今はほとんどいないけど」
 「何それこわい……夜一人でトイレ行けなくなるじゃん」
 「じゃあ部屋の入り口にトイレとお風呂がある部屋にしましょう」
2人はそんな話をしながら3階にある来客用の和室の入り口をカードキーで開けて入っていった。
 「わー、なんだろう、温泉行くとこういう部屋泊まるよね」
真夏は部屋を眺めながら言った。入り口には衣装掛けと風呂、トイレの扉、奥には和室が広がっている。和室にはテーブルの上にポット、壁際にテレビが置いてある。
 「あー、そうね。浴衣とか広縁はないけど」
赤森は靴を脱いで和室に上がっていった。
 「ヒロエン? 何それ」
真夏も一緒に上がっていく。
 「ほら、よく窓側にあるでしょ、さっき食堂にいたときみたいに向かい合って座る席だけ置いてある謎のスペース……」
赤森は向こうの壁を指さして言った。この部屋ではそこには窓しかない。
 「あー、あれヒロエンって言うんだね。おじさんに教えてあげよ」
そう言って真夏は一通り殺風景な和室を見回した後、風呂の方を覗きに行って急に何かを思い出して叫んだ。
 「あ!!! そういえば着替えがないとお風呂入れないじゃん」
真夏はポーチしか荷物を持ってきていなかった。
 「被験者に着せる患者衣だったら備え付けてあるけど」
赤森は布団が入っている押入れを開けながら言った。
 「ヒィー……まあ、寝るときはそれ着ればいいけど……あ、そうだ思い出した。私、1階のロッカーに着替え入れてあるんだった」
真夏は左の手のひらを、右手をグーにしてポンッと叩きながらそう言った。赤森は唖然として
 「え? 職員用のロッカー1つ占有してるってこと? なんで??」
と尋ねた。
 「名治子がロッカー使わないからって譲ってくれたんだよね。私、1年に何回かは遊びに来るから、いざって時のために着替えとか入れてあるんだ。取ってくるねー」
と真夏は言い終わるか終わらないかくらいのタイミングでもう部屋から飛び出ていた。
 「あ、ちょっとー!!! もうー、大丈夫かなぁ……」
赤森は「気が気ではない」と言っていた奈治男の気持ちが少しわかった気がした。自分もロッカーに取りに行きたい物があることを思い出したが、ひとまずテレビをつけて休むことにした。

 施設は元々静かだったが、徐々に職員も帰っていき、じきに夜勤の職員と、不幸にも残業をせざるを得ずオフィスにこもっている者以外はほとんど人がいない状態になりつつあった。真夏は消灯が近い廊下を闊歩し、1階のロッカールームに辿り着くと、カードキーを使ってそこから服とお泊まりグッズが詰まった布巾着を取り出した。
 「さ、帰ってお風呂入ろうっと」
真夏はそう呟いてまた廊下を歩き始めた。すると途中、退勤する事務の女性とすれ違った。
 「あれ、子ども? どうしたの? こんな時間に」
その女性は真夏に話しかけてきた。
 「職員さんお疲れ様! 私、今日はここに泊まるんだ」
 「泊まるって……あ、もしかして……」
女性は真夏を残業組が非公式な”実験”に使うために用意した被験者かも知れないと推測した。それで気の毒に思い、
 「あなた、もしここの職員に連れて来られたのなら、酷いことされる前に隠れた方がいいわ。たしか今……3階の東棟の奥に主任から人を入れないように言われてる個室があるから……そこなら夜勤の見回りのときだけ見つからないようにすれば朝まで隠れられるはずよ」
と教えてくれた。真夏はなんのことかさっぱりだったが、面白そうなので話を合わせることにした。
 「そうなの? うぅ、今ね、なんか様子が変だなーと思ったからあっちから逃げてきたところなの。酷いことされるところだったんだ……私は仁勢田真夏。ありがとねお姉さん。名前は?」
真夏が急に尋ねると
 「え、稲見だけど」
とだけ答えた。
 「稲見さんね。ありがとう、行ってみるね!」
真夏はぺこりと頭を下げてダッシュで3階に向かっていった。
 「き、気をつけてねー!」
稲見はあっという間に遠くへ走っていく真夏に向けてやや控えめにそう叫ぶほかなかった。

 真夏はちょうど3階に戻るところだったのでいい寄り道になると思いながら、まっすぐ東棟の最奥を目指した。幸い、途中に見回りの職員や警備の姿はなく、あっさりとそれらしき部屋に辿り着くことができた。ここは入院病棟のようなエリアで、使っていない部屋は「空室」の札がついていたが、一室だけ「使用中」になっている部屋があった。
 「もしかしてここ? 誰かいるのかな……」
真夏は暗い廊下で「使用中」のタグを凝視し、引き戸を開けようとしたが施錠されていた。しかし、カードキーを使うとあっさりと扉は開いた。部屋は暗かったが、入ってすぐベッドに誰かが寝ているのが見えた。
 「あ、誰かいる。お邪魔しまーす……」
と、真夏は小声で言いながら中に入っていった。別に本当にここに隠れて朝まで過ごすつもりはないので、肝試し感覚で寝てる人の顔でも見たら赤森のところに戻ろうと思っていた。忍び足で近寄るが、その気配に気づいたのかベッドで寝ていた人物は目を覚まして起き上がり、
 「だ、誰!?」
と、驚愕の表情で叫んだ。
 「ありゃ!」
そう叫び返した真夏が目にしたのは、水色の髪をした少年、深木紋乃だった。彼は症状が落ち着いたので既に拘束とバイタルサインの常時チェックを解除されていた。
 「もんちゃーん! どうしてるのかと思ってたらこんなところにいたんだ」
真夏は満面の笑みを浮かべ、その辺にあった部屋の電気のスイッチを入れた。
 「あ、眩しい!! なんだよ君、まだいたの!? というか、何しに来たの……」
紋乃は普通に寝ていたので迷惑そうに言った。
 「何って……なんだろ……でも理由はともかく、また会えてよかった! 髪、おろしたの? ツインテールの少年、イケてたのにな」
深木は元々長い髪を2つに束ねて、一見すると女児のような髪型をしていたが、今は長い髪をおろしている。真夏は純粋に疑問に思ったことを尋ねたのだが、深木は少し顔をしかめて
 「ああ、これね……しょうがないよ、脳波検査をするっていうからおろしただけで……」
と答えた。
 「脳波検査……あ、そういえば今日警報が鳴ったよね。そのときにアナウンスで脳波検査室って……もしかして、何かあったの?」
真夏が急に真剣な表情になってそう尋ねてきたので深木はしまった、と目を逸らした。そして、
 「知らない……僕は別に平気だよ」
と言った。しかし、その不審な様子に真夏は続けて問いかける。
 「平気ならなんでこんなところで寝てるの?」
すると、深木は目を逸らしたまま
 「それは……ちょっと、具合が悪くなっただけだよ。慣れてなかったから……」
真夏はそう言われ、半ば睨みつけるように深木をじっと見つめた。そして深刻なトーンで、
 「ねえ、名治子に会った?」
と尋ねた。深木は不思議とゾッとしてちらりと真夏の顔を見た。その目は今にも獲物に飛び掛からんとする猫のように鋭く、深木はその圧に耐えられなくなった。
 「……ああ、会ったよ。はぁ……もういい、君には隠し事はできないようだね。出て行ってくれって言っても、僕が話すまでは行くつもりないんだろ?」
と観念したように言った。
 「そうだよ。ごめんね。けど私、名治子に会いにここに来たんだ。名治子が何か企んでるような気がしたから。なんかこの前テレビに出てから、変な幻術マシーンとかっていうのを研究してるって言ってて……イヤな予感がしてたんだ。……何があったか、教えてほしいの」
真夏は相変わらず今日一番の鋭い目つきのままそう話した。深木はやれやれ、といった表情で
 「わかった。幻術マシーンってのは多分、VRのことかな? ……そうだな、この際だからもう、初めて赤森さんと会ったときのことも、脳波検査のとき何があったのかも全部教えてあげるよ。それでいいだろ」
と言い、今までに起こった出来事とその顛末を洗いざらい真夏に話した。
 「名治子がそんなことを……それに、もんちゃんが……怪物に? そっか……ごめん、そんなことになってると思ってなくて……」
真夏はうつむいて少ししおらしくなって言った。深木は、
 「信じられない、とは言わせないよ。もう僕は疲れた……あの先生の言うことは、僕にとってはすごく魅力的だ。こんな体とさっさとおさらばできるなら……喜んで協力するさ。いずれバケモノになって死ぬくらいだったら……VRの中で生きてた方がずっとマシだ」
と、吐き捨てるように言った。そう言われしばし真夏は何か考え込んでいたが、やがて口を開いた。
 「もんちゃん……本当に、その体を捨ててしまえると思っているの?」
すると深木は、
 「おい……どういう意味だ? 僕にそんな度胸がないって言うのか! うっ……」
と一瞬激昂したものの、眼帯で隠れた右目の付近がうずき始め、深木は思わず手で抑えた。深木が手をどけると、右目の周辺は鱗のついた青い皮膚に変質しかけていた。
 「あっ……! もんちゃん、大丈夫!?」
真夏は深木の下に駆け寄った。
 「来るな!! 僕のことが怖くないのか?」
深木はそう言って、少し呼吸を整えた。真夏はおびえる様子はなく、深木の顔を心配そうに見つめている。
 「別に怖くないよ。それより……私、今日こっそりその幻術マシーン、使ったんだ。本当にすごかったよ。仮想世界の中には……名治子の人格をコピーした、若い頃の名治子にそっくりなアバターがいたんだ。まだテスト中らしいけど、本当に生きてる人みたいに話ができたよ」
真夏がそう話すと、深木は少し明るい表情になった。
 「本当かい? やっぱり、研究は順調なんだ!」
深木はそう言ってすぐ、真夏がまだ全然浮かない表情をしていることに気づいた。
 「けどね……そのアバターは、名治子”本人”じゃなかった……きっと本人はその頃、ここでもんちゃんとお話してたんだろうね。そのさ、今もしもんちゃんが仮想世界に行ったとしても、それはもんちゃんの体をスキャンして意識を仮想空間に移してるだけなんだよ。それに、もんちゃんの人格を複製してアバターに移したとしても……それはもんちゃん本人では……」
真夏はそう言った。深木は目を見開いてハッと息をのんだ。
 「今はそうかも知れないけど、研究はまだ始まったばかりだって……いずれは、肉体からの解放ができるって……」
深木は弱々しく呟いた。
 「うん……いつかそれができるようになるかどうかまでは、今の私にはわかんないけど……でもね、もんちゃん。私も不思議な話をするんだけどさ……私ね、猫と仲良しなの」
真夏は何か諭すような口調でそう話し始めた。
 「猫と? それがどうしたのさ」
深木は答えた。
 「それでね、猫を追いかけてるうちに……不思議な場所に迷い込むことがあるの。そこには猫がたくさんいて……森の中の大きなお屋敷にはね、なんか猫の神様みたいな、とってもすごい人がいるんだ。猫の神様は猫だけじゃなくて私にも、猫と同じくらい優しくしてくれて……そこで過ごしてると、楽しくて時間が経つのも忘れちゃってさ。でもね……そこがどんなに楽しくても、帰るのを忘れちゃうくらいでも……そこにずっといることはできないの」
真夏は右手につけている、袖の内側に隠れていたブレスレットを出してそっと見つめ、
 「帰らなきゃいけない場所があるから。私の帰りを待ってて、いざとなったら危ない目に遭ってでも迎えに来てくれる人がいるから……ねえ、もんちゃんにはそういう人、一人もいないの?」
と続けた。深木はすぐには何も答えなかったが、妹や弟たちの顔を思い浮かべて少しうつむいた。真夏はその様子を見て、心当たりがあるのだということだけは理解した。
 「名治子の研究そのものが悪いとは思ってないんだ。もしかしたらホントに、楽園みたいな場所で暮らせる日が来るかも知れないし……もんちゃんが協力するっていうなら邪魔はしないけど、私は名治子に言いたいことは言うつもり」
真夏のその言葉に深木は、
 「そう……」
とだけ答えた。
 「なんか、ごめん。一方的っていうか、余計なお世話だったかもだけど……私、もう戻るね。今日はここに泊まっていくんだ。だから、また明日ね。おやすみ」
真夏はそう言うと、口角だけにっと上げて笑顔を作り、控えめに手を振って病室から去って行った。深木はベッドに座ったままその背中を見届け、しばらくの間そのまま佇んでいた。

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