「Nuj計画」 第4幕

 「体調はいかがですか?」
名治子は入り口に立ったまま尋ねた。
 「うん……」
と深木は目も合わせないまま空返事をするだけだった。数秒の間をおいて、名治子が歩み寄る。
 「ちょっと、お隣失礼しますね」
と名治子はベッドの傍らにあった丸椅子を引き寄せて腰かけ、ベッドで拘束されている深木と斜めに向かい合った。
 「わたくしは、赤森の知り合いです。あなたの検査が決まってからというもの、わたくしもあなたとこうしてお会いするのを楽しみにしていたのですよ」
彼女は心から親しみのこもった笑顔を浮かべて深木に優しく話しかけた。
 「楽しみに? 僕がこうしてバケモノの姿を晒すのをかい!?」
深木は苦々しく名治子を睨みつけてそう言い放った。
 「いいえ、そうではありません。けれど、思い出してください。何故あなたがわざわざこのような辺鄙な研究所で検査を受けてもいいと考えたか……その理由は「理解」ではありませんか? そもそもこのような事態になってしまったのは我々の責任です。本当に申し訳ありません。あなたは何一つ悪くなどないのですよ。……少々荒っぽい形になってしまってすみませんが、我々はあなたへの配慮をしようと努めたために、このように比較的安全な形で対処することができたのです。あなたはそのような配慮を受ける権利があります。ここでは誰もあなたを得体の知れないものとして恐れたり、見放したりすることはないのです。どうか、安心してください」
名治子は威嚇されても眉毛一つ動かさず、相変わらず穏やかに語り掛けるような口調でそう言った。
 「……」
深木は目をそらし、憔悴したようになった。何も言い返せなかった。しばし沈黙が流れたが、名治子は何ら気まずい様子を見せず、ただ時間が流れるのを穏やかに待っていた。するとやがて深木が口を開く。
 「今まで、そんな風に言われたこと一度もなかった。こういうとき、いつもどうしたらいいかわからなくて……この前も、自棄になって……」
話しながら、深木は目に涙を浮かべていた。
 「ええ……誰に話すこともできず、話しても理解を得られるはずはなく、どうすることもできず……どれだけ辛かったか、わたくしにはとても想像できません。わたくしとて、もし話だけを聞いていたらにわかには理解できなかったでしょう。けれど……わたくしも先日不思議な体験をする機会がありまして。それで赤森の話も信じられるようになったのです。あのときは大変でしたが、このように見識を広げることでより人の役に立つ研究ができるのかも知れないと思いました。あなたのような方のお力にもなれるかも知れない、そんな研究をちょうど今しているところなのです」
名治子は微笑みを浮かべ、時折目を瞑り少し懐かしむような素振りを見せながらそう話した。
 「僕みたいな人を……助ける?」
深木はすがるようなまなざしで名治子を見つめて尋ねた。
 「ええ……まだ、研究そのものは初期段階なのですが。ご存じですか? わたくし、先日あの末峰コーポレーションのVRゲームの体験会に参加したのですが」
 名治子がそう言うと深木はハッとした。
 「あ……そうだ、思い出した! 全部見たわけじゃないけど……テレビでもやってたし、配信もされてたあれのことですよね……?」
 「はい、そうです。あのときわたくしは、機械に肉体を預け、VR……すなわち仮想世界に入り込んでいたわけですが、末峰氏は長いことあの空間に滞在しながら仕事をしていたこともあったとか……末峰氏はあくまでゲームの舞台としてVRを利用していましたが、実は既にそれとは別の”生活空間としての仮想世界”の研究は行われていて、ここINCTでも研究を進めているところでした。少し飛躍しますが、わたくしはこの研究が進めば、やがてヒトは肉体の束縛から一切解き放たれることができるのではないかと考えています。各々の理想的な姿の肉体を「アバター」として完全に仮想世界の中で生きる、新たな世代の……非”実在”の子どもたち。言うなれば新たなステージの人類を育む計画。わたくしはそれをNeo Unreal Juveniles計画……すなわち「Nuj計画」と呼んでいます。生老病死の四苦とは無縁の楽園……もちろん、それを望むかどうかは人それぞれでしょうが、わたくしはそれが存在することには大きな意味があると考えています」
 「肉体の、束縛から……僕みたいな、人も……」
 「あら、もうこんな時間に。これは失敬、わたくしばかりお話してしまいましたね。それに少しばかり話しすぎてしまったようで……このお話はまだ公にしておりませんので、そこはどうかよしなに。何より、被験者を集めるのに苦労しているところでして。もちろんもし”強い希望”がおありでしたら、ご協力いただくこともあるかも知れませんが……治験という形で検査にご協力していただいているだけでも我々には十分な恩恵です。本当に、お越しいただいてありがとうございます。それでは、申し訳ないのですがわたくしはこれから外部で会合がありますので、失礼します。今日は大事を取ってこのまま病床で泊まって行かれることをお勧めしますが……わたくしは明日また参りますので、何か不安やお悩みなどお話されたいことがあれば、何でもお申し付けください。こちらとしても、参考までにお伺いしたいこともありますので……それでは、お大事に。ごきげんよう」
深木と話し終わると名治子はそっと立ち上がると椅子を部屋の隅に寄せ、部屋を出る際に会釈をして去って行った。深木はただ、拘束されたままその後姿をじっと見つめていた。

 時は少し遡る。無機質な研究所の中、闊歩する一人の少女。彼女はある部屋の扉の前で立ち止まっていた。
 「ランク認証エラー」
カードキーで開錠する扉にはそうエラーメッセージが表示されていた。
 「あちゃー、そういえば名治子、ちょっと偉い人だったか……いないなら中で待っててびっくりさせてやろうと思ったのに……」
真夏は自分のカードキーを見つめながらそう呟いていた。彼女は名治子の研究室に来ていたのだ。だがそのとき、館内に大音量の警報が響き渡る。けたたましい非常ベルの音に流石の彼女も驚いた。
 「わ!!! 私のせい!?」
と一瞬思って身構えたが、何やらアナウンスを聞いていると、事態が起こったのは脳波検査室らしい。よかった、自分のせいではなかった。よくわからないが、少し安心してそこから離れようと足を動かすと、スッと今までロックされていた研究室のドアが開いた。
 「あれ? なんで? でもラッキー……!」
真夏は滑り込むようにして研究室に入っていった。研究室とは言うが部屋はそれほど広くはなく、実質名治子が寝泊まりするための部屋になっていた。壁際に本棚、あとはベッドとデスクを所狭しと並べたただの個室……のはずなのだが、何やら部屋の狭さに見合わない見慣れない機械が一台置いてある。
 「何これ?」
真夏はまじまじとその機械を見つめていた。椅子の上に、艶のある白い外殻を持つ流線形の機械が覆いかぶさっている。かぶさっている機械を持ち上げて椅子に座ると、上半身をその機械に覆われる形になる。一通り周りを見てその構造を把握する頃、警報が止んだ。
 「ここが電源ボタンかな? なんか……面白そう! ちょっと座ってみよっかな」
真夏は好奇心に負け、いや、好奇心を以って迷わず電源ボタンを押して機械を起動し、椅子に座って白い外殻に覆われた部分を被った。機械の内側は青色の光に包まれ、目の前には視界いっぱいに広がるディスプレイが見える。とても狭いが、手と頭は多少動かすことができる。
 「虹彩認証……認証失敗。続行する場合は右手のスキャナーにキーを提示してください」
ディスプレイにはそう表示されていた。真夏はダメで元々だ、と持っていたカードキーを右手のセンサーにかざした。するとディスプレイにはすぐに、
 「キー認証……Cランク職員のライセンスを確認。ダイブを開始します。準備はよろしいですか? YES/NO」
と表示された。
 「やった! もちろんYES!」
真夏がそう叫ぶと、ディスプレイには続いて
 「承認。モニタリングを開始します……オールクリア。ダイブ、開始します」
と表示され、機械の内側が一瞬激しい光に包まれた。そして、光がおさまって視界が開けたとき……真夏は全く見覚えのない部屋に立っていた。そこはこんなにたくさん何に使うんだ、というほど辺り一面コンピュータだらけの、窓がない部屋だった。自然光、またはそれを模した光も一切入っていないにもかかわらず、照明とディスプレイによって照らされたサイバネティックな空間。彼女は何が起こったかわからずキョロキョロしていた。
 「何これ……? うわー、すごい……もしかして……あの機械、前に名治子が言ってた幻術マシーン? みたいなやつだったのかな」
真夏はそんな独り言を言いながら、その辺のコンピューターの周りを眺めていた。すると急に、後ろから声がした。
 「ようこそ、仁勢田真夏さん」
驚いた真夏はぴゃっと声を上げて振り返った。そこには、一人の女性が立っていた。

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