なんにもできやしない

 おはこん以下略Najikoです。
おはこんハロチャオ、もっと流行ると思ったんですけど意外と使ってる人見たことないですよね。どうしてだろうか。わたくしがナンジャモを好きだからそんなことを気にするんでしょうか。嗚呼、せめてこんな小さな恋心の虚像を、食器棚の隅っこに飾って眺めるような人生を送っていきたいですね。何がだ?
 

 人と話すとき、話題に挙げることは人それぞれ。雑談にも色々ありますけど、人間は無意識のうちに「実は私こんな優秀なことがありまして」とマウントを取ってしまいがちなものではないでしょうか。それは別に悪いことではないと思いますし、そういう話を気持ちよく聞いてもらえることはストレスの発散や信頼の形成に役立つものです。ただ、わたくしに関しては職場やプライベートの様々なところでそんな話を聞いていながらふと「いいなぁ」とか「なんでわたくしにはそういうこと一つもないんだろうなぁ」と、ぼんやりとした痛みを感じることがあります。笑顔で「えー、すごいですね」「よくそこまでやりましたね!」などと言いながら内心では「あー、みんなはきっと、何もない人間の気持ちは想像すらしたことないんだろうなぁ」と、特に意味もない被害者ポジション思想に耽っているのです。


 人間向き不向きってありますよね。ご存じですか? ご存じですね。日本の学校教育ではなんでもかんでもとりあえずやらせてくるので、わたくしのように体育壊滅カスカス貧弱オタクはそこで大人になるまでに徹底的に自尊心をボロクソにされることはよく知られていますが、実際のところ身の周りにわたくしほど体育に強い憎しみを覚えるほどのカスさを発揮した人間がほとんどいないため思いのほか共感を得られない部分です。
 小学校の低学年か中学年くらいの頃でしたかね、ガキのやることといえば外に出ておにごっこあたりと相場が決まっているものですが、足の遅さに関して学年でも下から数えて一桁くらいだったわたくしはそんなことはしたくないので文句を言っていると、「お前の足が遅いの俺のせいじゃないし」と言われたのをよく覚えています。彼の言うことは100%正しい。わたくしは文句を言うべきじゃないし、やりたくなきゃ図書室に籠って本でも読んでた方がもっとマシな人間に育ったのでしょうが、ガキの頃のわたくしは今よりもさらに輪をかけてアホだったので積極的に孤独を選択するより友達との付き合いを優先し、痛みだけを蓄積させていった記憶があります。


 まあ、普通それだけ運動がカスなら異様に頭がいいとか、ゲームがすごく上手いとか、手先がめちゃくちゃ器用とか、何か一つくらいそんなものがあってもよさそうなものですが残酷なことに、天は二物どころか一物も与えてくれないこともザラなもので、わたくしは学業成績は並(まあ勉強大嫌いだから勉強してないせいなんですが)、あとは軒並み体育と同じくらいカスでした。
 痛みの記憶を掘り返せば枚挙に暇がありません。低学年の頃の図工の授業で、先生から借りたアラビックヤマトをベロベロにしてしこたま怒鳴られたことをよく覚えていますし、竹ひごを曲げて籠を編んだときは鳥の巣の方がもうちょっと綺麗にできてるようなレベルでした。友達の家に集まってゲームで対戦したときは勝った試しがありません。スマブラとか。体育や図工と違ってゲームは今でもやるのでこれは同じ痛みを感じ続ける部分でもあります。

 おまけに要領が悪く、ルールを覚えるのが下手、優先順位は決められないしなんでも後回しにしてしまうし……生き恥しか晒していません。子供の頃の自分と会話する機会があるなら「お前は何が楽しくて生きてるんだ」と聞いてみたいくらいです。まあ自分自身に問いかけてみたところでせいぜい、目先のゲームの攻略くらいしか楽しみなんてなかったでしょうけどね。
 せいぜい、一つだけ得意なことがあるとしたらこうして作文をすることくらいです。これ以外に(しょうもない)マウントを取れることなど何一つありません。中学生くらいの頃には自分が周りの人間より苦も無く文章を書くことができることに気づき、高校では半分しか読んでない本の読書感想文で佳作を取り、大学では論述作文の講義で「書けたら退出していい」という回で他のわたくしよりも優秀なゼミ生を差し置いてさっさと書いて出てきました。今の職場でもまあ、基本的に仕事ぶりは要領が悪いためカスなんですけど、文書の作成についてだけはわたくしの右に出る者がいません。これは唯一管理職にもお墨付きをもらっている部分です。まあ、文書を作成するのが主な業務ではないのでそれほど役には立たないんですが……いずれにせよつまらない話です。こんな機会がなければ人にしようとも思わないでしょう。

 職場に、作文が苦手な人が何人かいます。特に、そのうちの一人のおばちゃんはわたくしであれば会議中に最後まで書き上げているような議事録に何日も費やし、おびただしい量の修正点を指摘されて返されていますが、わたくしは別にそのおばちゃんが悪いとは全く思っていません。別に作文なんて、苦手な人にやらせる必要はないのです。今ならAIにでも頼んだ方がよっぽどいいでしょう。でも大抵、学校にせよ職場にせよそういう人って「なんでできないんだ」「みんなやってるだろ」って詰められてしまうんですよね。わたくしも作文以外のことについてはそうだから、とてもつらいし、人にはそういうこと言わないようにしています。今は時間に余裕がないからおいそれとはいかないですけど、おばちゃんのゴーストライターをして決裁を通したこともあります。別にそれでいいと思うんです。得意なやつが好き好んでやれば効率よく終わるんですから。
 けれど現実には、度を越した音痴の人でもカラオケにつき合わなければならないように、みんなやってるからと苦手なことに参加しなければならないようなことはよくあるものです。わたくしは音痴とは無縁ですがカラオケは行きたくないです。理由は簡単、「上手に歌えないから」。これを言うと誰もが「カラオケなんて上手に歌えなくたっていいんですよ」「みんな好きに歌ってればいいんだから」と言いますが、そんなことはわかっているのです。わたくしはただ「恥を晒したくない」のです。

 なんにもできやしない、なんにも他人に比べて秀でていないわたくしは失敗を嫌い、敗北を嫌い、恥を晒すことを嫌い、言葉には出さなくともなんとなく細かい部分で優位に立とうとしたり……そうすることでしか自尊心を守れない人間になってしまったような気がします。努力も嫌いですけど、それは良くないなと思っても「どうせできるわけないし」と思うことが大体本当にできるわけなかったことしかないのでどうしようもありません。最近でもゲームに負けそうになるとすぐ文句言いますけど、人より劣っている部分が数字で顕在化するのを心の底から屈辱に思っているが故なんだと思います。この世の大多数の人は「そんなゲームくらいで」と思うようなことでもわたくしにとっては無能の証明なのですから、大なり小なり痛いものは痛いのです。

 これはアイコンにもしている旧Vroidのわたくし。いつもわたくしがアップロードしたOneRoomワールドの片隅で寝っ転がっています。

たまなつちゃんの話ばっかりしていると思われがちなわたくしですが、このアイコンの「Najiko」は結構気に入っているアバターです。

飾り気もなければ特に面白みもない「量産人類」って感じの見た目が、無個性なわたくしにはよく似合っていると思うからです。けどまあ、Vroidである以上最低限の美少女ではあるので、余計にこう、「市民権だけ持ってるモブ」感がマッチしてて愛着が湧きます。

 あーあ、なんか……生きづらいね……働いてるのに家庭の事情でめちゃくちゃ貧乏だし……それでもただ「五体満足であること」と「友人に恵まれていること」にだけは感謝を忘れないようにして生きていくべきなんだと思います。別に金持ちになりたいとか、恋人がほしいとか、才能が欲しいとか……そんなこと「考えちゃいけない」ってことです。無理なもんは無理なんですから。いいじゃないですか、時々こんなことブログに書かないとやってられないってだけの話です……わざわざ読んでくれた方には感謝申し上げます。ジュースを奢ってあげよう。さ、こんな辛い現実のことは忘れて、酒飲んでVRChatで遊びましょうね……

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