「Nuj計画」 第13幕

 赤森と真夏はまた社食にやってきた。昼食を食べに来たのだ。昨夕よりは人がいたが、元々周りに何もない立地に鑑みて、泊まりの仕事をする職員や弁当を持って来られない職員のためにやむなく構えた食堂だ。ガラガラであることには変わりなかった。
 「ねぇ、ご飯代まとめて先生に請求してもいい?」
赤森が言うと、
 「いいよー」
と、メニューを見ながら真夏は当たり前のように言った。お腹が空いていたからか、目移りして仕方ない様子だった。
 「そんなに熱心に眺めても、どれもそんなに美味しくはないけど……あみだくじでもして決める? 今日のメニュー」
赤森が頬杖を突きながら言うと、真夏は
 「そんなことあみだくじで決めてる人見たことないんだけど……冷凍じゃないのはどれ?」
と真剣な様子だった。
 「うーん、そうねぇ……そのえびとじ丼とかはどう?」
赤森が適当に指さして提案すると
 「美味しそう!!! じゃ、私それね」
とウキウキしながら言った。赤森はすっかり元通りの元気な様子になった真夏を見て嬉しく思ったが、正直疲れていたので、いいなぁ子供は……と言いたいのをぐっとこらえていた。

 「それで、今日はこれからどうするつもりなの?」
赤森はやっぱり冷食だったかも知れない海老フライを頬張りながら尋ねた。彼女も真夏と同じえびとじ丼を頼んでいた。
 「私は帰るよ。もんちゃんのことも気になるけど、さすがに2泊するのもアレだし」
と真夏は常識人ぶったような言い方をしていたが、
 「あなた前におじさんのところから3日もどっか行って帰らなかったことあるんでしょ。もう何泊かするとか言い出すかと思ったわ」
赤森はため息をつきながら言った。
 「名治子から聞いたの? まあ、あの時はホントにおじさんのこと心配させちゃったから……そろそろ帰ってあげないと寂しがるかなってね」
真夏は名残惜しいが仕方がない、とでも言いたげだった。
 「ほーんといいご身分だわ……まあ、あなたが来なかったら、私じゃ先生の研究に意見できなかったと思うから結果オーライなんでしょうけどね。たまには子供のお守りをするのも楽しかったし」
赤森もまた名残惜しそうな様子だった。
 「珠子には元々会えるかどうか考えてなかったんだけど、めちゃくちゃお世話になっちゃった。そこはちゃんと感謝してるから……ありがとね。今度家に遊びに来なよ。おじさんもきっと喜ぶよ」
と真夏はニコニコしながら言ったが、
 「私をじわじわと那次家に取り込もうとしてない……? まあ、あなたのお世話はしっかりやったつもりだから、おじさんにはよろしく言っといて。あ、先生が大ケガしたことは話しちゃダメよ。心配するから」
と赤森はやんわりお断りしつつ釘を刺した。真夏は、
 「うん。名治子もおじさんに心配かけたくないだろうし……あ、私もう1回名治子のとこに行かなきゃ。名治子も帰る前に私の顔見ておきたいだろうし、帰りの車を手配してもらわなくちゃ」
と言って、えびとじ丼をかきこんだ。赤森はやれやれ、というポーズをしていた。

 「おや、誰ですか? あいにく、今わたくしはこの有様でしてね」
横になってあっちを向いた名治子が言う。ところかわってここは名治子の病室。彼女は誰かが病室に入ってきたことは音でわかったが、すぐには振り返れない様子だった。
 「私だよ、私」
真夏の声だ。
 「その言い方は詐欺の手口ですよ。今そっちを向きますから……よっこらしょ。うっ……」
名治子はベッドのへりを掴みながらゆっくりと体位を変えていた。
 「ねえ、やっぱり結構重傷なんじゃないの……?」
真夏はその様子に再び心配になってきた。
 「まあ、多少強がったのは否めませんが、わたくしの体はいずれ良くなりますから……」
名治子はようやく振り返って言った。
 「早く良くなってね。私が帰ったら寂しいだろうけど……」
真夏がそう言うと、
 「そうですね、わたくしが寂しくて泣きだす前に深木くんと一緒に帰るといいでしょう」
と名治子は苦笑いしながら言った。
 「あれ? もんちゃんは今日帰れるの?」
真夏は尋ねた。
 「わたくしと違って彼は急速に回復しているようで、先ほど立って歩けるようになったと連絡が入りました。夕方には帰りの車を手配しますから、それに乗って行ってください」
名治子が言うと、
 「ホント? よかった……もんちゃん、元気になったんだね。……ていうか私、気になってたんだけどさ。名治子はどうしてそんなに研究を急いでたの?」
と真夏は尋ねた。彼女はなんとなく名治子の様子が変だという直感を信じてここに来たのだが、その理由は結局判然としていなかった。
 「さあ、それは今となってはわたくしにもわかりません。ある意味では……一種の狂気に憑りつかれていたとも言えるかもしれませんが、何かのせいにするような話でもなく……ただ……」
名治子はそこまで言うと、その先を口にすべきかためらっているように見えた。
 「何? 言いたいことは言っちゃった方がいいよ!」
と真夏に促され、名治子は静かに語った。
 「わたくしは、恐れていたのだと思います。赤森さんやわたくしが体験したことは、決して奇妙なだけの体験ではありません。もっと、根源的な部分での恐怖……人類が決して知るべきではないものの片鱗を味わったのです。わたくしはMorphee Gear……いえ、Nuj計画に、そんな恐怖からの逃避と解放を求めていたのでしょう。あまりにも淡く儚い期待ではあったかもしれませんがね……。そして真夏ちゃん……あなたにだから敢えて尋ねます。もし、この世が真の地獄だと知ってしまったら……それが覆せない事実だと認識してしまったら。あなたはこの世を正気で生き抜く自信はありますか?」
真夏はそれを聞いてしばし考えこみ、色々なことに思いを巡らせた。つまらない学校、身勝手な大人、わがままな自分、顔も知らない両親、不条理に翻弄される友人、この世ならざる楽園、家族と生活を人質に取る会社……そしてこの世のどこかに潜む巨大な邪悪。しかし、それでも。
 「みんながいれば、私は生きていけるよ」
彼女はそう答えた。
 「……ありがとう、真夏ちゃん。それならばわたくしもしっかり反省して、元気に長生きしなくてはいけませんね」
名治子は心からの感謝と笑みを真夏に向けた。

 真夏は夕方まで部屋でのんびりして過ごし、深木のところにはあえて行かなかった。自分が行くと休まらないと思ったからだ。赤森は休みだったが真夏に付き合って部屋で一緒にだらだらと過ごしてくれていた。そして、夕方になると真夏は赤森に送られて施設の玄関にやってきた。
 「深木くんを連れてくるから、そこで待っててね」
赤森はそう言うと、エレベーターに乗って深木を迎えに行った。まもなく彼も玄関に送られてきた。
 「もんちゃん、お疲れ様。すっかり元気になった?」
真夏が歩いてきた深木に尋ねた。
 「ああ、まあね。ちょっと色々と大変だったけど、いつもの生活に戻らなくちゃ」
深木は答えた。それから、廊下の方から昨日とは違う運転手の男がやって来て2人を外に案内し、車を取りに行った。赤森も一緒に見送りに外に出てきた。
 「あれ、珠子が運転してくれるんじゃないの?」
真夏は尋ねた。すると珠子は駐車場の方を指さした。
 「私が運転すると、ああなるから……車、しばらく乗せてもらえないんだよね」
珠子の指さす先には、数台並んだ中で1つだけ前方のバンパーがひしゃげた白い車があった。
 「あ、あれ珠子のせいだったんだ……じゃあ、見送ってくれるだけでいいよ……ありがとね」
と真夏もさすがに苦笑いした。


 「深木くん、忘れ物はない?」
赤森は来た時には背負っていなかったリュックを背負って白い車に乗り込もうとする深木に話しかけた。
 「うん。ちょっと怖いけど……家の近くまで、送ってくれるんだよね?」
深木は答えた。
 「ええ。絶対外で開けたりしちゃダメよ」
赤森がそう答えると、深木は静かにうなずいて、車の後部座席に乗り込んだ。反対側の席にはもう真夏が座ってシートベルトをし終っている。
 「2人とも、元気でね。さよなら!」
赤森が手を振ると、深木は頭を下げ、
 「珠子も元気でね! 名治子によろしくね~」
と真夏は手を振った。そしてドアが閉められ、車が発進する。赤森はしばらくその後姿に手を振っていた。
 「はぁー、やっと帰れるねー。えへへ、私帰る前に名治子のところに行ったらお小遣いもらっちゃった。1000円もくれたんだよ。ご飯代もツケてるのに……あ、もんちゃんはいくらくらいもらったの? お詫びにちょっと足してもらったんでしょ? 5000円とか……足した分と合わせて、1万円くらいいっちゃってたりする……!?」
真夏は気になって仕方がない様子で深木に詰め寄った。深木は、
 「はは、そ、そうだね、その……よかったね、お小遣い貰えてさ。帰りになんか、ラーメンでも食べて行ったらいいんじゃない?」
とはぐらかそうとしたが、真夏はごまかされなかった。
 「ちょっとー、私の分はいいの! あんなにお金の話してたんだから、教えてくれたっていいでしょー。名治子の誠意ってやつが気になって仕方ないんだから」
真夏が言うと、深木は前にしっかりと抱えたリュックに少し目を遣って挙動不審になった。やがて真夏の圧に耐え切れず、ついに口を開いたがそれでもなお、
 「その、そうだな、具体的には、ひゃ……ひゃ……」
とまごついていた。すると、
 「何? 100円? そんなわけないよね!?」
と真夏が今にも憤慨しそうな声を出したので、ついに深木は白状した。 
 「違う違う、いいかい? 大きな声を出さないでよ? ……もらった封筒は分厚くてさ……よく確かめてって言われたから中身を見たら……その……全部で百万円あったんだ」
深木は辛うじて真夏にだけ聞こえるよう限界まで声を殺して静かに言ったのだが、真夏は昨日から今日にかけて一番の声量で
 「えぇーーーーーーーーー!!??!?!?!??!?」
と絶叫して椅子にもたれかかり卒倒しかけていた。

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