「Nuj計画」 第12幕

 それから3人は名治子を残して病室を出て行った。また搬入用のエレベーターに乗り、3階へと戻る。
 「あのさ……もんちゃん」
真夏が話し始める。深木は真夏の方を向いた。
 「名治子のこと、許してあげてくれて……ありがとね」
真夏がなんだか申し訳なさそうに言うと、
 「別に。許さないって言ってもっとお金貰うことにしてもよかったんだけど」
と深木は皮肉な笑みを浮かべて言った。
 「もう、みんなお金のことばっかり言ってる!」
と真夏は怒ったが、半分苦笑いしていた。深木としては、赤森がすぐそこにいるところで、彼女らが深木を許してくれたから自分も……ともう一度説明するのはなんだか恥ずかしいのでそんなことを言っていたのだった。
 「真夏ちゃん、悪いけど先に部屋に戻っててくれる? 私、深木くんを病室に戻してうまいことこの空白の時間をごまかさないといけないから……」
3階に着いたエレベーターから降りて赤森は言った。それを聞いて真夏は
 「オッケー! じゃ、またね。もんちゃんも元気になったら部屋に遊びに来てよね」
と言ったが、深木は唖然として
 「いや、いつまでいる気なんだよ……僕は自分で歩けるようになったら帰るつもりなんだけど」
と答えた。

 真夏はまた一人で304号休憩室に帰ってきた。赤森を待っている間に何をしようかと考えながら扉を開けて和室に入っていくと、部屋の隅に何か見覚えのない影が見えた。目を向けると、そこには見慣れた1匹の小さな黒猫がいた。
 「あ! あれ? なんでこんなところに……?」
真夏は黒猫の近くに歩いていきしゃがんだ。いつもなら黒猫は寄ってくるのだが、今日は真夏の顔を見ながら上品に座ったままでいたので、真夏が違和感を覚えていると、黒猫が口を開いた。
 「無事に済んだようですね」
黒猫は鈴を転がしたような綺麗な声でそうしゃべった。
 「え……もしかして、猫の神様?」
真夏が尋ねると、
 「左様です。あなたに魔力を渡した手前、事の成り行きをこの目……いえ、貴女の目を通じて見守りたくそのようにしてきましたが、そろそろ一時的に通じていたパスがなくなりそうなので、最後にこうして挨拶に来たのです」
と黒猫はリラックスした姿勢になって話した。その声はバーストのものだった。
 「それは、えーと……そうだ、栄誉。栄誉です。ホントにありがとうございました。神様のおかげで、私はケガをしなくて済んだんですけど……」
真夏は感謝とは裏腹に複雑な気持ちがあった。今は急激に良くなっているように見えるが、あのとき苛烈な魔法で深木の体に大きなダメージを与えてしまったかもしれないことがまだ気がかりだった。
 「貴女が殴りつけた彼のことなら、心配することはありません。気づいているでしょうが、私は単に魔力を渡したのではなく、魔法を知らない貴女の力になるよう、意図して2つの呪文の効力を込めていました。1つは彼を苦しめた呪文です。あの呪文を受けた彼は想像を絶する苦しみとともに体が破壊されることになりますが……それは一時的なものです。呪文の効果が切れれば最後には貴女が殴った分の負傷しか残らないでしょう。それともう1つは……貴女に説明するのは難しいのですが、要するに邪悪なものを封じ込めてしまう印です。それで彼の潜在意識に眠る邪悪を抑えたのです」
バーストはそう説明した。真夏はそれを真剣に聞いて、ようやく心底安心することができた。
 「はぁー、よかったぁ……けど、それなら……」
と真夏が言いかけると、
 「最初から教えてほしかった……と言いたいところでしょうね。しかし貴女なら恐らく、一時的であれ彼を苦しめるような魔法を使うのはためらってしまうでしょう?」
バーストは先回りしてそう付け加えた。
 「あー、それはたしかに……でもよかった。みんな助かったし……もんちゃんの体質も抑えられたみたいだし、それもこれも神様のおかげです!」
と真夏はバーストを讃えたが、バーストはというと
 「そうですね……我が信徒を失望させるのは不本意ですが、いずれにせよその効果は一時的なものです。もとより私の領分ではない上、彼の本質そのものを変えることはできませんので」
と、本当のことを伝えてきた。
 「そっか……神様でもそう簡単には……」
真夏は少し残念そうな様子を隠しきれなかった。
 「ええ。例えるなら、ヒトが猫になれないのと一緒のことです」
 「けど神様、私のこと猫みたいに思ってるんじゃなかったでしたっけ」
 「左様です。ですがそれは、貴女が何であるかではなく、どのように生きるかを選んだ結果です。であれば彼も……自身が望むならヒトとして生きていくことができるでしょう」
2人がそんな会話をしていると、黒猫の体が青白く光り始めた。
 「おや、そろそろのようですね。それでは、いずれまた」
バーストの言葉に真夏は深々と頭を下げ、
 「神様、ありがとうございました」
と感謝を述べた。そうしているときに、後ろの方でドアが開く音がした。
 「ふぅ、なんとかなったわ。そろそろお昼でも食べに……ん? 何してるの?」
部屋に入ってきた赤森が、一人で頭を下げている真夏に向かって話しかけてきた。真夏はそっと顔を上げたが、そのときにはもう黒猫はいなくなっており、そこには畳以外何もなかった。
 「へへ、なんでもないよ」
真夏はそう言いながら振り返り、笑顔を見せるのだった。

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