彼女の秘密の計画

 「いやー、今週からは楽しくいきましょう」
赤森はそう言うと、ポーチに詰めてきたお菓子を面談室のデスクに並べ始めた。
 「ええ、まあいいでしょう。わたくしも半分そのつもりですから」
安物の電気ポットでインスタントコーヒーを淹れながら名治子は苦笑いしていた。

 前回のセラピーから1週間、クライアントの赤森の荒唐無稽な妄想、幻覚がほとんど事実に基づいていたことをセラピストの名治子が確認したセラピーの次の回の様子である。以前よりは随分とリラックスした雰囲気で、狭い部屋のデスクをカフェのカウンターのようにしてお菓子をつまみ、極めて庶民的な香りのコーヒーを嗜みながら2人は語り合っていた。
 「今日はわたくしから尋ねてもよろしくて? 先週聞きそびれて少し気になったことがあったので」
名治子がそう言うと、赤森は嬉しそうに
 「なんでもどうぞ。私の言うことはどれもまさに”ここだけの”話ですから」
と答えた。名治子はほくそ笑みながら
 「では遠慮なく……尋ねたいのはあなたが頻回には話さなかった1つのエピソードのことです。その、免許を取ってから1か月後くらい……今からだと先々月くらいの出来事だったかしら」
と話し始める。赤森はクッキーを口に含んだまま、
 「おふ、あの日のことですか。私にとっては奇妙で楽しい1日でしたが、安藤さんともクトゥルフとも直接の関わりがない話ですから、先生は興味を持たなさそうだと思ったのですが」
と懐かしむような表情で話した。
 「ええ、まあビヤーキーが宇宙空間を簡単に行き来して地球までやって来ているという事実だけでも十分にとんでもない話ではあるんですが……あなたはその日、幻覚ではない2匹のビヤーキーを追う過程で「深きものども」と呼ばれる存在と邂逅した……そうですね?」
名治子はやや神妙な表情を浮かべて赤森の方を見ながらゆっくりと確認した。
 「はい。正確には「深きもの」と人間のハーフの少年と、純粋な「深きもの」1体ですね。……まあ純粋な方の「深きもの」は私がビヤーキーに乗って突っ込んだ衝撃で跡形もなくなってしまったんですけど」
赤森は多少申し訳なさそうに言った。名治子は、
 「そちらについては仕方がありませんが……あなた、たしかその頃って社用車をぶつけたばかりでしたよね? ビヤーキーにせよ自動車にせよ、無謀な運転はいけませんよ。あなたが未だ人間をひき殺していないのは単なるラッキーであって……」
とまで言ったが、
 「それは余計なお世話ですよ先生。車の方は無謀な運転をしてぶつけたわけではありませんし……乗るたびにちょっとずつ上達してますから。ほら、免許取るまでの経験では完全に運転できるようにはならないから初心者マークなんてものがあるんじゃないですか」
と、熱心に自己弁護をする赤森に遮られた。名治子はコーヒーを少しすするとすっかりあきれ顔で
 「わたくしが大学で講義しただけのことはありますね、その機関銃のような言いくるめ……消し飛んだ純粋な「深きもの」はともかく、そのハーフの少年の方と……「深きもの」と敵対していた矢野さんと言いましたか。その上級ビヤーキーの方を説得するのにも一役買ったんでしたよね。鼻が高い、と言って差し上げましょう」
と言った。赤森はにこにこしている。
 「わたくしとしては、あなたを心配すると心労が募るのでよくないのですがそこはひとまず置いておくとして……そのハーフの少年。深木と言いましたっけ。わたくしが興味を持っているのは彼の方です。精神力で「深きもの」への完全な変性を抑え込んでいるという」
名治子は再び神妙な顔つきにもどり、そっぽを向いて考えこむようにして言った。
 「はい。深木くんは暗い海の底からの呼び声にも抗い、ヒトであることを選んでいました。一生涯抗い続けなければならないのは、当人にはあまりにも過酷なことですが……人間として最も崇高な選択だと私は思います」
それまで飄々としていた赤森もこの話にはさすがにしんみりとした口調になった。
 「……そう言う割にあなた、彼を説得するときひどく挑発したんじゃなかったですか? ビヤーキーと彼とでは生物としての格が違うとかって……いけませんね、優位に立つと挑発的な態度を取るのはあなたの悪い癖です。それでは交渉術に花丸はあげられませんよ」
名治子はまた少しあきれ顔で赤森を諫めた。
 「まあまあ、お説教はよしてくださいよ。最後はちゃんと彼に寄り添って懐柔に成功したんですから……それに事情を知ったのは説得が終わった後ですし」
赤森は大して悪びれる様子もなくそう言い放った。
 「うーん……いや、いいでしょう。及第点は差し上げます。そもそも交渉の仕方については本題でも何でもありませんから。それよりもわたくしは彼の性質に興味があるのです。肉体が変性して別種の生物に変わる……まあ、2種類以上の生物の遺伝子を1個体が持つことは珍しくはありません。交雑種、モザイク、キメラ……その辺はわたくしより医学の心得を持っているあなたのほうが詳しいでしょうけど、知的生命体が全く違う生物に置き換わるなど当然前例がありません。そのとき性格や思考がどのように変化するのか。INCTの研究の到達点である、脳と完全に接続された機械……脳以外が機械に置き換えられた存在。すなわちサイボーグの研究にも繋がる極めて貴重な存在です」
名治子は一層不敵な笑みを浮かべながらそう話した。
 「私も多少近いことを考えて……彼を研究所に招こうとしましたが、断られてしまったんですよ」
そう言って赤森もコーヒーを一口すする。何か、嫌な予感がした。
 「とても残念です。わたくしの研究次第では彼を苦痛から救うこともできたかも知れなかったのですが」
名治子は笑みを浮かべたまま言った。
 「苦痛から……研究に使った後、彼をサイボーグにしてしまおうというのですか?」
赤森はさすがに眉をひそめてそう尋ねた。すると、
 「いいえ、そうではありません。わたくしのラボで研究しているのは、サイボーグではなく……”アバター”です。生体から機械ではなく生体からデータへ、あるいはデータから別の生体へ、意識を移し替えることができたら。わたくしがVRの体験会へ足を運んだのもその研究のためなのです。彼は肉体と理性が衝突している状態ですが、その意識をデータ化し、別の”ふさわしい”体に移し替えてしまえば……どうです? もう苦しむことはありません」
名治子は心からの善意でその話をしていた。故に、笑顔であった。その笑顔を見た赤森は何かこう、正気を揺さぶられるような衝撃を覚えざるを得なかった。
 「先生、マジですか、本気で言ってるんですか。そうしたら、彼の元の体はどうなるんですか。元の体に残された本来の意識は? 複製することはできても「抜き取る」ことはできないんじゃないですか」
赤森は眉をひそめたまま少し声を荒げてまくし立てた。
 「体が完全に「深きもの」に変性した時点で、元の人格はおそらく保てないでしょう。そうなったら彼の元の意識は”死んだも同然”です。そうなる前のバックアップに彼の理性が存在し、新たな体で新たな時間を刻めれば、そちらが本当の、人間としての「深木くん」だとは思いませんか? ああ、考えただけでも素晴らしい体験です」
名治子はさっきにも増して爛々とした目をしていた。まるで理想を語る少女のように。
 「それは──いや、なんでもありません……どのみち、彼はこの研究所には来ないと言っていましたから……けれど驚きました。先生がそんな研究をされていたなんて。今まで一度も……」
そう言うと赤森は少し嫌な汗をかきながら、それを紛らわすように個包装されたチョコを開けて口に突っ込んだ。
 「フフ、驚いたでしょう。この研究は本当は極秘なのです。ほとんどわたくし一人でやっている研究ですけどね。しかし、わたくしとあなたは「知るべきではないこと」を知ってしまった同士、一蓮托生……どうです、赤森さん。わたくしの計画はもちろん他言無用ですが……あなたは今後も深木くんのような、研究に有用な存在と相まみえるかも知れません。あなたもわたくしもそういった星の下にいるようですからね。ですから、そのときは……」
そこまで言うと名治子はさらにぐっと口角を上げた。その不敵な笑みに赤森はいよいよ生きた心地がせず、
 「わ、わかりましたわかりました。協力します、協力しますよ。他ならぬ先生のお願いですから……」
赤森は今やうつむいて、すっかり元気がなくなっていた。彼女は、もういよいよ後には退けないところに来てしまったことを唐突に自覚した。それも、今までの恐るべき体験ではなく、身近な人の野望を知ることによって。
 「先生……いや、那次博士。も、もう少し……教えていただけますか。その計画のこと」
赤森は慎重に、恐る恐る尋ねた。
 「ええ、もちろんですよ。お話ししましょう……わたくしの全てを賭けた”Nuj計画”について──」

これは何?

 はい、先日の記事同様にクトゥルフ神話TRPGのセッションで扱った内容を元に書いたSSみたいなアレです。

那次博士

 セッション内では赤森の方がはっちゃけているというか、急にふざけ始めるタイプの人物で、那次名治子は赤森ほどはふざけなかったのですが、実際にはこっちの方がヤバい野望を秘めていた……というお話でした。

 「Nuj計画」とは何なのか? それは今後語る機会があるかも知れないですし、ないかも知れないですが……この単語自体は、VRCでV戯王のカードを作っている頃から考えていました。まあ、セッションに持ち込むほどの大それた話ではない(?)ので継続探索するにしても別に影響はないままいきます。今のところクトゥルフ神話TRPGのセッションで使っているキャラクターは全員この名治子と関係のあるキャラクターだったりするんですけどね。ロストしない限り遊び倒します。

 今回はそんな感じです。実を言うと、昨日の夜勤の日の夜から(ブルアカのエデン条約編を読んでいたせいで)1日眠れていないので、これを投稿したらそっとオフトゥンに入ろうと思います。
それではごきげんよう。うぅ、ミカ……(就寝)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です