「Nuj計画」 第6幕

 「んにゃ!!!」
そのとき真夏がそんな声を出したかどうかは彼女しか知らないが、とにかくMorphee Gearからログアウトした彼女は現実世界に意識が戻ってきた。
 「お疲れさまでした。ディスクが排出されています。取り忘れにご注意ください」
とディスプレイに表示されているのが見える。
 「戻ってきた……そうだ、ディスクを持って行かなきゃ」
真夏は機械の内側を見回したが、ディスクは見当たらない。ひとまず、かぶさっている外殻を持ち上げて椅子から立ち上がり、機械の外側をぐるりと見てみると、後ろにある電源ボタンの近くから、スケルトンのケースに格納された見たことのないディスクが半分飛び出ていた。それはMDによく似ているが大きさが一回り大きい、Morphee Gear以外に対応していない特殊規格のディスクだった。
 「なんかカッコイイ! じゃ、もらってくね」
と、真夏はディスクを引っ張り出して自分のポーチに入れた。そしてボタンを押してMorphee Gearの電源をオフにして、部屋を出て行くことにした。オートロック式で、中からは普通に出られるがドアが閉まればすぐ施錠される。彼女は出ていくと振り返って、閉まるドアを見つめながら
 「ありがとね、あっちの名治子」
と呟き、その場を後にした。

 所変わってここは施設の1階の休憩スペース。通路の脇に自動販売機とソファがあるだけのスペースだ。
 「あー、なんか疲れたー。今日はどうしようかなぁ……帰っちゃっていいのかなぁ……」
そこにはソファに座って缶コーヒーを飲みながら小さく独り言をつぶやいている赤森の姿があった。そこにひょこっと現れる人影。赤森はその姿にぎょっとした。
 「げ、なんで!?」
赤森は思わず叫んだ。
 「おおー、珠子だ! こんなとこにいたんだね。探してはいなかったけど」
そう言ってきたのは、今しがた研究室を後にしてきた真夏だった。
 「いやいや、真夏ちゃんなんでこんなとこに来てるのよ……あーびっくりした」
赤森は深いため息をついた。赤森は真夏が名治子と暮らしていたときから時折会う機会があり、真夏にとってはいじり甲斐のある年上の友達だった。
 「今日ね、偶然電話ボックスに車が来たから乗り込んできたんだ。なんか、なんて言ったっけな、深木もんのすけくん? とかって子も一緒だったんだけど」
真夏はあっけらかんとして言った。
 「えぇー!? すごいタイミングで……けど名前、「深木紋乃」くんだよ。なるほどそういうことか……いや、だからって勝手に車乗ってきちゃダメでしょ。ああ、でもアレか……先生からカードキーもらってるんだっけ? それで、何か用事でもあったの?」
赤森が尋ねると、真夏は隣に座って
 「そう、用事があったの。名治子に会いに来たんだ。どこにいるか知ってる?」
と尋ねた。
 「先生だったら、夕方から会合があるからってさっき出て行ったけど……」
 「えー!!!! あちゃー……今日は泊まりだこれ」
 「泊まりって……帰りなさいよ。なんで諦めるって選択肢がないのよ」
 「せっかくこんなとこまで来たんだから、諦めるわけないでしょ。それに今日帰っちゃったら急に会ってびっくりさせる私の計画が台無しだよ」
 「ああ、そういうこと……はぁー、言い出したら聞かないもんなぁ。いいわ、ここで話してるのもなんだし、社食でご飯でも食べながらどうするか決めましょ」
 「オッケー。じゃあ、珠子の奢りね!」
 「はい? ……うぅ、子供相手とはいえ先生のとこの子じゃなかったら普通に断るのに……けどまあ、いいわ。奢ってあげるから言うこと聞いてちょうだいね」
 「それは、ちょっと保証できないかな」
二人はそんな話をして社食に向かっていった。社食は広いが空いていて、ほとんど人はいなかった。二人は部屋の隅の小さい丸テーブルで向かい合うようにして席についた。
 「ラーメンないの?」
真夏は席につくとすぐにそう言った。彼女は腹ペコであった。
 「あるけど、あんまり美味しくないかな……」
赤森はおもむろにメニューを開きながらそう答えた。
 「オススメは何?」
真夏は自分の方向からは逆に見えているメニューを覗き込みながら尋ねる。
 「お子様ランチかな。メニューにはないけど」
赤森が表情一つ変えずにそう言うと、
 「何さ、もう!!」
と、真夏は少しへそを曲げた。結局真夏はカツ丼を頼み、赤森はオムライスを頼んだ。二人はカウンターに食券を出した後、赤森は水を汲み、真夏はあちこち見物して回っていた。ほどなくして、料理が出てきたので二人は席に運んで食べ始めた。
 「カツ丼とってあげたんだから言うこと聞きなさいよ」
赤森はそう言ったが、真夏は
 「私、容疑者ひゃないかや」
とカツを頬張りながら言い返す。さらに、そのまま
 「珠子はなんれオムライスなのよ」
と尋ねると、赤森は
 「ここ冷食ばっかりだけど、オムライスはちゃんと調理されて出てくるのよね。カツ丼もそうだけど」
と答えた。真夏は食べながら、そりゃよかった、といった表情をしていた。
 「それはそうと……ホントに今日どうするつもりなの? 泊まっていくならお家に連絡しないと」
そう赤森が言うと、真夏は
 「あ、そうだった。おじさんに電話しなくちゃ」
と、ポーチからスマホを取り出してすぐ電話をかけ始めた。すると一人の男性が電話に出た。
 「もしもし、おじさん? 私だよー」
真夏がそう言うと、男性は
 「ああ、真夏ちゃん。連絡をくれてよかった。そろそろこっちから連絡しようと思ってたよ」
と返事をした。その声の主は那次奈治男という名前で、名治子の親戚であった。彼は名治子が多忙のため、真夏の世話を押しつけられている。
 「ごめんおじさん、今日施設に来てるんだ。泊まってくね」
真夏は全然悪びれる様子なくそう話した。
 「施設に? 名治子のところだね。今日は彼女の世話になるってことかな?」
奈治男は尋ねた。
 「んにゃ、名治子は今日いないんだよね。今、友達の珠子にご飯食べさせてもらってるんだ。ほい」
そう言うと真夏は赤森にスマホを手渡した。
 「え、えぇー!?」
と赤森は今口に運ぼうとしていたスプーンを一旦置いて急いでスマホを受け取り、電話に出た。
 「あ、は、初めまして。赤森と言います。真夏ちゃんのお友達……っていうか、那次先生の部下みたいな感じなんですけど」
赤森がしどろもどろになりながら話すと、
 「ご丁寧にどうも。私は那次奈治男といいます。ご存じかとは思いますが、名治子の親戚です。すみません、お忙しいところ、真夏ちゃんがご迷惑をおかけしているようで……」
奈治男はとても丁寧にそう話した。彼はセールスマンをやっているため、電話には慣れていた。
 「あ、いえ!! 全然大丈夫ですよ。私も今日はここにいるんで、明日までちゃんとお預かり……って言うんですかね? しておきますから!」
赤森は相変わらずあたふたしながら話していた。真夏は向かいの席でただにこにこしている。
 「そうですか、それなら私も安心です。どうもありがとう。真夏ちゃんは時折急に友達の家に泊まったりするので、連絡がないと気が気ではなくて……おっと、つい余計なことを。失礼しました。それでは、大変恐縮ですが、真夏ちゃんをよろしくお願いします」
奈治男がそう言うと赤森は
 「はい! ご心配なく! そ、それじゃ真夏ちゃんと代わりま……あ、切れてる」
と言って、しばし画面を見つめ、そっとスマホを真夏に返した。
 「よろくねー」
真夏はいい笑顔を浮かべていた。
 「はぁー……”真夏ちゃんをよろしくお願いします”ですってよ! そりゃ断るわけには……ていうかあなた家族を心配させちゃダメでしょ。そこは反省してよね」
赤森は頭を抱えて心底疲れ切った様子で真夏を諭した。
 「うん……おじさんにはこの前もちょっと心配かけちゃったから、なるべく気をつけてるよ。それはそうと、どっか空いてる部屋あるでしょ? そこに置いてってくれればいいよ」
真夏はそう言ったが、
 「そうしたいのは山々なんだけど、お子様一人施設の空き部屋にほっぽって私は帰りますっていうのはよろしくお願いされたことになんないでしょ……いいわ、私も今日一緒に泊まってくから」
と赤森はすっかり諦めた様子で答えた。真夏はというと、
 「やったー!! お泊まり会だ! うれしいなー。UNOとか持って来ればよかったな」
と無邪気に喜んでいた。
 「UNO、2人でやってもあんまり面白くないでしょ……ホントは明日私休みなんだけど、先生が出てってるからどのみち私が残んなきゃいけなかったしなぁ……まあちょうどよかったかな」
赤森はそう言うとオムライスの最後の一口を頬張った。
 「ん? なんかお仕事でも任されてるの?」
真夏はまだカツ丼を食べている途中だったが、手を止めて尋ねた。
 「ああ、そうそう。深木紋乃くんのことでね」
赤森はそう言うと席を立ち、皿を下げに行った。

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