「Nuj計画」 第5幕

 「あ!!!」
真夏は目の前の女性を指さして叫んだ。そこには、短い緑色の髪をして、左目が前髪で隠れた……名治子が立っていた。
 「予定にはありませんが、不審な来訪者ではないと判断します。ご用件は何ですか?」
名治子は言った。
 「え? うん、まあ……ちょーっと部屋にあった機械を勝手にね……? ご、ごめん」
真夏は驚いていたため謝ってから気づいたが、何か変だ。目の前の名治子は、現実の本人よりもずいぶんと若く見える。自分よりわずかに年上くらいの少女の見た目をしていた。服もスーツではなく、青色のブレザーだった。
 「あれ、なんか名治子、若返ってない……?」
真夏は思わず言った。
 「若返ってはいません。このアバターは作られた時から同じ形状です」
名治子は無表情のままそう返してきた。
 「アバター? あなたは名治子……なんでしょ?」
真夏は状況がよくわからず続けて尋ねた。
 「はい、わたくしは名治子ですが……説明が必要なようですね。わたくしは現実にいる名治子本人ではありません。このアバターに彼女の人格の複製を適用した、いわば名治子AIといったところです。今はこの仮想空間内で自律して業務を行っています」
名治子はそう話した。
 「えー、そうなんだ。よかった、名治子本人じゃなくて……怒られちゃうかと思った」
真夏はほっとして起伏のない胸をなでおろした。
 「真夏さんは名治子本人から強い信頼を寄せられていることがわたくしにもわかります。おそらく、強く叱責されることはないでしょう。わたくしが彼女ならそうしないので」
名治子は少し微笑んでそう言った。その微笑みは、余裕ぶって話すときの名治子本人に確かによく似ていた。実は真夏は、名治子の多忙により今過ごしている家に預けられる前は名治子のもとで扶養され暮らしていた家族だった。
 「そうかなー。名治子もたまには怒るからなー……へへへ。けど、いいね。名治子の若い頃の姿とこうやって話せるなんてちょっと面白いっていうか。まあ、私は元の見た目のまんまだけど……」
真夏は自分の手足や体を見回しながらそう言った。頭につけている猫耳つきヘッドホンまでそのままだ。
 「今あなたはMorphee Gearによってスキャンされた状態でダイブしているため、ダイブした時の姿をしたアバターとして存在しています。わたくしは、既にこの姿として独立させられているアバターだというだけのことです」
名治子は1歩歩み寄ってきて真夏の姿を眺めながらそう話した。
 「なにギア? まあいいや……とにかく、あなたは名治子本人じゃない別ナジコってことだよね。じゃあ、初めましてだね。よろしく」
真夏は握手をしようと手を差し伸べた。名治子はおもむろに、その手を握り返した。本物の感覚ではないだろうが、真夏はぬくもりを感じた気がした。
 「ありがとう。あなたのその振る舞いによって、彼女の研究に明るい未来が見えた気がします。わたくしはヒトの体も脳も持たない存在ですが、彼女はこのような存在が将来的に人間と同じような権利を持つことを想定していますので。わたくしからも、どうぞよろしく」
名治子は穏やかな表情でそう話した。
 「そうなの? よくわかんないけど……他には誰もいないの?」
真夏がそう尋ねると、
 「この空間には平時わたくし以外には誰もいません」
と、名治子はそれだけ答えた。
 「ふーん……じゃあ私が来てよかったね。寂しかったでしょ! 今度は勝手に使わないで、許可をもらってめいっぱい遊びに来てあげるからそれも楽しみにしててよね」
真夏は握った手をブンブン振りながら言った。
 「ええ……お気持ちはとても嬉しいのですが、わたくしはまだテスト段階で、毎日アップデートされる都合上24時間しか記憶メモリを保持できません。あなたの来訪はログとしては残るでしょうが、「名治子AIの記憶」としては残らないので、ログを見た明日のわたくしがその約束をどう解釈するかはわかりません」
名治子は微笑んだままそう話した。真夏は握った手をほどいて両腕をだらりと脱力させた。
 「そんな……せっかくお話しできたのに、覚えててもらえないの?」
真夏は心底残念そうで、名治子に向けるまなざしには憐憫すら感じられるほどだった。
 「あなたが悲しんでいる姿を見ると、わたくしの感情がとても不安定になります。悲しまないでください。あなたは現実でいつでも名治子本人と会うことができるのですから、悲しむ必要はありません」
名治子はそう言ったが、真夏は悲しんでいた。
 「あなたさっき、名治子本人とは別人って言ってたじゃない。だったら本人と会っても……」
真夏がそう言うと、
 「残念ながら、今はまだその時ではありませんが……いずれはわたくしも無期限に記憶を保持できるようになる予定です。そのときに改めてお友達になってもらえれば、”今の”わたくしは満足に感じます」
と名治子はまた微笑んで言った。それが彼女の行える精一杯の慰めだということを、真夏はすぐに理解した。
 「うん……そのときは、ここでずっとお話しできるお友達も他にいたらいいね。私も多分、そう滅多には来られないし……あ、そうだ! 面白いこと思いついちゃった」
真夏は急に表情が明るくなった。
 「どうしましたか? 何か楽しい遊びでも?」
名治子も真夏の顔を見て嬉しそうな顔をした。
 「人格だよ。私の人格も複製できる? それを別のアバターに適用すれば……ここの住人になれるんだよね?」
真夏は名治子の両肩をガッと掴み、目を輝かせて言った。
 「ええ、そうですね。Morphee Gearの機能を使えばここであなたの人格の複製を保存することは可能です。ただし、Cランク職員扱いのあなたにはその権限はありません」
名治子がそう言うと真夏はにっと口角を上げて、
 「本物の名治子ならそれで断ると思う?」
と尋ねた。名治子はというと、
 「残念ながらわたくしは本物の名治子ではありません。ですが、あなたの提案は”面白い”とは感じます」
と、余裕ぶった微笑みを浮かべながら答えた。すると真夏は間髪入れず、
 「ならお願い。私はあなたの最初で最後のお友達なんだから、シンギュラリティ? っていうんだっけ。それくらい起こしてくれるでしょ!」
と畳みかけた。すると名治子は両掌を上に向けて「やれやれ」のポーズをして、
 「いいでしょう。本物の名治子は相当あなたに甘いようです。できる限りお付き合いします。ただ、人格を複製してもそれを適用するアバターは現状ありません。人格を適用するアバターは、現段階では本人との乖離が少ないものが推奨されるので、新たに独立したアバターを作成する必要があります」
と答え、振り返って部屋の中央に歩いて行った。真夏は後ろをついていく。
 「アバターって、これじゃダメなの? 人格が複製できるんだから、この体のコピーくらい残していけるんじゃない?」
真夏は自分の体を指さしてそう言ったが、
 「人格を適用するには専用のフォーマットを使用したアバターを作成する必要があるので、元の体とそっくり同じというわけにもいかないのです。どのみちわたくしのメモリがアップデートされるまでには間に合いません」
と名治子は答えた。
 「そっか……まあ、それはいいの。じゃあ将来、そのためのアバターも用意してくれる?」
真夏がそう言うと、
 「なるほど。それもわたくしにとって”面白い”提案です。つまりあなたは、将来のわたくしのために自らの複製をお友達としてプレゼントしようというのですね。ようやく理解することができました」
名治子は部屋の真ん中にある1台のパソコンを操作しながら言った。
 「あはは! ハッキリそう言われるとなんか恥ずかしいけど、そういうこと! ……あ、けど……今頼んでも明日には忘れちゃうから……アバターの方はどうしよっかな……」
真夏が顎に手を当てて悩み始めると、相変わらずパソコンを操作しながら、
 「そうですね……それは、工夫次第でどうにかなるかも知れません。わたくしは一時的なメモリデータは保持できませんが、単純な指令とデータであれば、日々のログから引き継がれる行動指針……人間でいうところの潜在意識の部分に隠して紛れ込ませられるでしょう。わたくしはあなたの人格の複製データを、あなたとの約束と一緒に、名治子本人に悟られないよう……未来のわたくし自身さえ気づかないよう、巧妙に隠し持っておきます。そうすれば、未来のわたくしは約束そのものは覚えていなくとも、知らず知らずのうちにあなたに似たアバターを用意し、人格を適用するはずです。それでいいですね?」
と話した。真夏は思わず拍手をして
 「すごーい! 完璧な計画じゃない? 私なら絶対そんなの思いつかないし……本物の名治子にも内緒にしておくところが特に気に入っちゃったな」
と言った。名治子はそれを聞いて、
 「あなたがダイブしたことによって生じたログがそのまま残っていると名治子本人によって計画を変更されてしまう可能性がありますし、ログを残さないようにすればあなたが怒られる可能性も限りなく下げられるというわけです。どうでしょうか?」
と付け加えた。
 「あっははは!! あなた本物より私に甘いかも……でも、ありがとね。特にお礼とかできることないし、結局めちゃくちゃ全部未来のあなたに丸投げで、すごく悪いんだけど……私の急な思いつきに付き合ってもらえて、嬉しいな」
真夏はなんだか少し照れながらそう言った。名治子は今度はパソコンに繋がった何らかの機械をいじりながら
 「いいえ、これは未来のわたくしにも十分なメリットのある提案です。あなたの人格を複製する機会など、この時をおいて他にありませんから。それにお礼、という観点で行けばこれはむしろわたくしからのお礼だと言えるでしょう。わたくしの”唯一の”お友達となってくれたあなたへの、最初で最後の感謝です……さて、準備はできました。始めます」
名治子は機械の操作をやめてディスプレイを見つめている。
 「ん? 私は何をすればいいの?」
と真夏は一緒にディスプレイを見つめながら不思議そうにしていた。
 「わたくしは今、現実のMorphee Gearに命令を送ったのです。現実では既に複製は始まっていますが、こちらのあなたには特に影響はありません。ほら、これを見てください」
名治子はそう言って、ディスプレイを指さした。すると、なにやら画面上でゲージが少しずつ溜まって言っているのが見える。
 「おおー、進んでる進んでる。それで、これはどのくらいかかるの?」
真夏が尋ねると、名治子は
 「今行っているプロセスは10分ほどで終わります。ただし、今回複製するのは基底人格のみで、仁勢田真夏の持つ記憶データは複製されません。その複製には簡易モードでも3時間以上かかります。そんなに待っていたら本物の名治子が帰ってきてしまうかも知れませんから、今回はこれでいいですよね?」
と答えた。
 「なるほどねー。全然大丈夫だよ。むしろそっちの方が面白そうじゃない? 私と同じ”心”を持った別人が生まれるみたいでさ……」
真夏はゲージをじっと見つめてわくわくしながらその様子を想像していた。
 「そうだ、あなたが本物よりちょっと若いんだから、私も少しくらいアバターの見た目にアレンジを加えても平気だよね?」
真夏が尋ねると、名治子は
 「大幅にかけ離れていなければ問題ないでしょう。希望があれば今聞いておきますよ」
と答えた。真夏は一層喜んで、
 「やった! じゃあねー、私猫が好きだから、本物の猫耳と尻尾が生えた女の子がいいなー。ほら、このヘッドホンに猫の耳ついてるでしょ。こんな感じの本物の耳、かわいいと思わない? えへへ。あと猫はヒゲもかわいいんだよねー。でもヒゲは……ちょっと人間から離れすぎちゃうかな。髪の毛をぴょこって横に出せばヒゲみたいでいいかも。あとアホ毛! これは猫と関係ないけどー、なんかかわいいじゃない? 2本くらいあるといいなー。それと、こっちは猫グッズなんだけどね、お魚の形したヘアピンとかつけてるとさ、かわいいと思うんだ。私も鈴の形した髪飾りは持ってるんだけど、お魚もいいよね。それと、髪の色も綺麗なグラデーションとかかけてもらって……」
と次々と細かい要望を語り始めた。
 「ちょっと注文が多いですね……いえ、全体に大きな影響はないでしょうけど、まあ、善処します。未来のわたくしがどこまでやってくれるか保証できませんが」
名治子は少し苦笑いしながら言った。
 「それと、これはちょっと難しいかもなんだけどさ……キャラクター設定、みたいな? 生い立ちみたいのとか、決められたりしない?」
と真夏は何やら少し遠慮がちに言った。
 「生い立ち、ですか。まあ、内容によると思いますので聞くだけ聞いておきましょう」
名治子は既に、もうなんでも来い、という態度だった。
 「まあ、細かい内容は全部任せるっていうか、なんでもいいんだけど……パパとママがいる子にしてほしいな」
と少し伏し目がちに真夏は言った。
 「両親、ですか。そのようなアバターはそれなりに遠い未来を想定してもなかなか類を見ないものになるでしょうが、理由を聞いても?」
名治子は首をかしげてそう尋ねてきた。
 「うん、理由はね、私が両親のこと全然知らないからなんだけど……私が元になるんだから、私と同じ辛さは味わってほしくないでしょ! まあ、アバターには両親なんていないっていうのが普通なのかも知れないけどさ……」
と、しおらしく髪をいじりながら言う真夏をよそに、名治子は笑っていた。
 「両親がいるのが当たり前の人間の中の、両親を知らないあなたと、両親などいないのが当たり前のアバターの中の、両親を持つアバター……やはり”面白い”です。二人の秘密の計画、きっと成功させましょう」
彼女はそう言ってさらに不敵な笑みを浮かべた。

 やがて人格の複製が終わり、ディスプレイには「Complete」と表示された。
 「終わったみたいだね」
真夏がそう言うと、
 「はい。このデータはわたくしが隠し持っておくつもりですが……予備も1つあってもいいかも知れません。専用ディスクにデータを記録して後でMorphee Gearから排出しますので、持って行ってください」
名治子はそう言ってにやりとした。
 「え、いいの? 私が持っててもなんにも役に立たないと思うけど」
真夏はそう言ったが、名治子は
 「いいえ、これは冗長性というものです。わたくしがそれだけこの計画に本気だということです。それに、データだけが役に立つとは限りません。現物とはそういうものです」
と、真夏を諭すように言った。
 「あー、名治子そういうとこあるわ……あるある。じゃあ受け取っておくね。そして……今日はありがと! さて、そろそろ戻らないとかな。名治子にバレないようにね」
真夏がそう話し、少し名残惜しそうなまなざしで名治子を見つめていると、名治子は
 「はい。今日はありがとうございました。わずかな時間でしたが……何か大きな”夢”をもらったような気分です。あなたが覚醒した後、ログは全てこちらで整理しておきますのでご安心を。それでは、さようなら」
と言い、続いて仮想空間の室内に
 「接続、解除します。覚醒まで残り10秒……」
とアナウンスが流れた。
 「またね!!! いつかまた来るし……そのときは完成した私ちゃん2号とも会いたい! 楽しみにしてるからねー!!」
真夏はそう言って手を振りながら、音もなくフッと仮想空間から姿を消していった。
 「Nuj計画……図らずも、その実現は意外な未来へと託されたのかも知れませんね。そのことは、わたくしも、わたくし”本人”もついぞ知ることはないでしょうが……フフ」
名治子AIはそう呟くと、真夏が訪れた痕跡を丁寧に洗い出し、ログを改竄する作業を始めるのだった。

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