「Nuj計画」 第2幕

 「あの、仁勢田さん……は、なんでこの車に?」
深木は恐る恐る尋ねた。
 「真夏ちゃんって呼んでほしいな。私ね、昔INCTにいたことがあるんだ。そこの電話ボックスに車が来るのも知ってるから、散歩する度にそこを通って車が来ないかチェックしてたんだけど……今日はちょうどいいところで来たってわけ! 君、INCTに連れて行かれるんでしょ? 名前は?」
真夏はこきげんそうに深木に聞き返す。
 「僕は深木紋乃。その、連れて行かれるってわけじゃないんだけど……知り合いの赤森って人に誘われて行くことにしたんだ。そしたら、あの場所でって……」
深木はまだ少し不安そうな様子で答えた。
 「赤森って、赤森珠子のことでしょ? 珠子と知り合いなんだね。そっか、それならまあ大丈夫かな。別に、遊びに行って楽しいとこじゃないけどね」
真夏は首をかしげて長いくせ毛の先をいじりながらそう話した。その後二人は
 「そうなんだ……君も赤森さんの知り合いなんだね。まあ、研究所だし、別に楽しくはないだろうけど……真夏、ちゃん? は何か用事があるの?」
 「えーと、施設に用事はないけど、会いに行きたい人がいるんだ。まあ、今日いるかどうかわかんないけどね。いたらラッキーって感じ」
 「そんな行き当たりばったりなの……ていうか、もしいなかったらどうやって帰るつもりだったの?」
 「あー、その時は施設に泊めてもらうから平気平気。私、VIPってやつだからねー」
 「VIP? さっき何かカード見せてたけど、それがVIPの?」
 「うん。そんなとこかな。一応私、職員扱いの権限があるんだよねー。困ったら施設に迎えに来てもらえるからって、持たされてるんだけど」
 「へぇ、そうなんだ……」
と、そんな会話をしていた。深木は、迎えに来てもらえるならわざわざ偶然訪れるタイミングを狙って車に乗って行く必要はなかったんじゃないかとか、誰がカードを渡したのかとか、色々気になることもないではなかったがそれ以上は尋ねなかった。しかし、今度は逆に真夏が話しかけてきた。
 「ねぇ、もんちゃんはどうやって珠子と知り合ったの? それで、なんでINCTに誘われたの?」
深木はそう尋ねられて面食らった。当たり前の質問ではあるが、想定しうる最も面倒な質問だった。
 「も、もんちゃんって……いや、いいけどさ。赤森さんには街で、バイ……いや、自転車に乗っててちょっと事故に遭ったときに助けてもらったんだ。それでその……体が心配だったら、また診てあげるからって……」
 「ほぇー、そうなんだ。あの珠子がねー。ちょっと前は不器用すぎて現場から外されたとか言ってたのに……街で人助けなんて、見直しちゃった。けどわざわざINCTで診てあげるなんて……あそこ一応秘密結社なんだけど。安請け合いしちゃったんじゃないかなー。やっぱ心配になってきたな……ふふっ」
真夏は心底楽しそうに話していたが、紋乃は嘘をついていた。彼は実際にはその日、海からの呼び声で「深きもの」の血が騒ぎ、錯乱して街で騒ぎを起こしていた。そしてその末に赤森と、同行していたビヤーキーの手で鎮圧、救出されたのだがもちろんそんなことは他人に言えるはずもない。今回INCTに誘われた理由は確かに診察のためだったが、わざわざそこで診てもらうのは彼の特異な体質のためであった。

 やがて、たわいもない話をしているうちに車はINCTと思しき施設に到着し、促されて深木は車から降りた。車の中からはパーテーションと特殊ガラスのせいでほとんど外の景色が見えなかったが、そこは恐らく山奥であることが伺える、木々の茂る鬱蒼とした場所だった。研究所らしい全く飾り気のない白い建物。駐車場にはこれまた白い社用車が3台ほど、不気味なほど整然と並んでいた……が、一台だけ何故かバンパーがひしゃげていた。
 2人は運転手に案内されて、暗証番号つきの自動ドアをくぐって施設のエントランスに入った。エントランスは狭く、入り口の正面には通路、右手には無人のカウンター、その反対側の壁に長椅子、右の一番奥の壁にエレベーターだけがあった。
 「今、係の者を呼びますので」
運転手はそう言うと会釈し、通路の奥に去っていった。その背中をしばし見つめた後、
 「さ、それじゃまたね」
と、真夏は通路に向かって歩いて行った。
 「え、ま、待ってよ。一人で行っちゃうの?」
深木は思わず引き留める。
 「うん。私は中のこと知ってるし、珠子に会いに来たわけじゃないから……まあ、後で会うことになると思うけど。それまで私が来たことは内緒にしといてよね! 私がいなくて寂しいかも知れないけど、大丈夫でしょ。男の子だもん。じゃあねー」
真夏はそう答えると散歩の続きとでもいうように再び猫耳のヘッドホンを被り、颯爽と通路の奥へ消えていった。一度振り返ってにっと笑って手を振って、それっきりだ。彼女の足音が聞こえなくなると、ついにエントランスは静寂に包まれた。深木は仕方なしに長椅子に腰かけ、辺りを見渡す。ガラス張りの自動ドアの向こうには一面の森。エントランスにはテレビの一つも置いていない。秘密結社というくらいだから、ここで来客をもてなしたり待たせたりすることはそもそも想定されていないのだろう。カウンターが無人なのも恐らくそのためだ。いかに男の子といえど、深木は多少の緊張と不安に襲われていた。さっきまで無駄に元気な女の子がすぐそこにいたのが信じられないくらいだ。しかし、そうしているとエレベーターの方から聞こえた「チーン」という小気味のいい高音が静寂を破り、扉が開き、中から一人の人物が歩いてきた。
 「深木くん、久しぶり」
それは赤森だった。
 「あぁ、赤森さん。久しぶりだね。はぁ、なんとかここまで来られたよ」
深木はそう言うと胸をなでおろした。
 「誘っておいて言うことでもないけど、面倒かけてごめんなさいね。さあ、じゃあついてきて」
赤森にそう促され、深木は彼女の後ろから通路を歩いて行った。エントランスも静かだったが、施設内はほとんど物音がせず、人の気配も全くしなかった。二人の足音だけが、張り詰めた空気を震わせ通路に響き渡る。赤森の顔を見てせっかく少し安堵したところに、再びじわじわと不安が襲ってくるようだった。分岐し、曲がりくねった通路をしばらく歩いていくと、赤森は
 「ここでちょっと待ってましょう」
と、通路の途中で立ち止まり壁際に立った。近くのドアの向こうが、恐らくは診察室なのだろう。でもどうしてだろうか。深木は納得して赤森の誘いに乗ってここまで来たはずなのに。それなのに、横目に自分を見る赤森の視線に、何か漠然と嫌な予感がしていたのだった。

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